Sun.png安政大地震、実は嘉永大地震

安政元(嘉永7)年(1854)って何それ?

「安政地震」は広辞苑によれば、
安政初年に起った地震。

  1. 安政元(嘉永7)年(1854)11月4日、東海道の大地震。安政東海地震。震源地遠州なだ沖。マグニチュード8.4。死者約二千〜三千人。
  2. 同年11月5日、南海道の大地震。安政南海地震。震源地土佐沖。マグニチュード8.4。死者数千人。
  3. 安政2年10月2日、江戸の大地震。江戸地震。震源地江戸川河口。マグニチュード6.9。死者(藤田東湖ら)四千余人。

まー、なんていう書き方をするんでしょうね。
安政元(嘉永7)年、なんじゃそれ?
何のこと言っているのか普通の人は分からないでしょ。

正確に書くと、嘉永7年11月4日[1854/12/23(土曜)]です。
安政の改元日が、安政1年11月27日[1855/1/15(月曜)]ですから、地震の23日後に嘉永から安政に変わったんですよ。

嘉永年間(1848〜1853年)という書き方をするのが、学者の言い方みたいです。
これも和暦西暦ごちゃ混ぜの書き方と同じ論理なんでしょうね、たぶん。

そうなんです。こんな3つの地震をまとめて言っていたなんてことも普通知らないのですが、最初の2つは実は嘉永なんですね。
まー、ほとんど安政だと言ってしまえばそうなんですけど。

言ってみれば、昭和64年1月7日に大地震が起きていたとすれば、それを平成大地震と言うようなものです。

分かりやすいように安政地震と呼ぶのはいいとしても、2005.1.12にNHKで放送した「その時歴史が動いた 第204回 百世の安堵をはかれ 安政大地震・奇跡の復興劇 」でも安政南海地震について、安政元年(1854)11月5日、というテロップを入れていて、嘉永だという説明は一切してないしね。歴史番組なんだから、そういうことをちゃんと説明するのが筋というものでしょう。史実を曲げちゃいけません。

皆さんも、騙されないようにしましょう。